浄土宗と浄土真宗の違いって何?開祖した法然上人と親鸞聖人の関係

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現在、日本には多くの宗派が存在していますよね。

 

浄土宗・浄土真宗・天台宗・日蓮宗・真言宗・禅宗・・・。

 

中でも、浄土宗と浄土真宗は名称や本尊や南無阿弥陀仏といった、様々な点がそっくり過ぎて「違いがわからない」という声が多く聞かれます。

 

因みに私の祖父も生前「うちは(浄土)真宗だ」と言っていたようですが、納骨している寺院は浄土宗であって、この寺院がかつては浄土真宗だった記録も残っていませんでした。

 

今となっては『浄土宗と知っていたが、名称がそっくりで勘違いをしていたのか』はたまた『浄土真宗を信仰していたが、本気で間違えて浄土宗に入信したのか』真実を聞くことはできません。

 

自分の宗派でさえどっちだったのか混乱を招きかねないのが、浄土宗と浄土真宗なのです。

 

そこで今回は、浄土宗と浄土真宗の違いについてまとめました。

 

両宗派がここまでそっくりなのには、明確なわけがありましたよ!

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浄土宗と浄土真宗の違いの前に・・・

そもそも仏教とは何なのでしょうか?

 

仏教とは書いて字のごとく『仏様の説かれた教え』のことをいいます。

 

では、仏様は一体どなたで何を説かれたのでしょうか?

 

仏様は仏陀(ブッダ)であり、仏陀とは真理の悟りを得た人物のことで、それはお釈迦様の事をいいます。

 

よく「悟りを開いた」なんて言葉を耳にしますが、その『悟り』とは実に52段階にも分かれており、最上位となる仏の位にたどり着き悟ることができたのは、今日までにはお釈迦様ただ一人なのです。

 

そのお釈迦様の説かれた教えは、お釈迦様自身が苦悩された『老・病・死』からの不安を取り除き絶対の幸福になる術でした。

 

浄土宗と浄土真宗の違い

実は、浄土宗も浄土真宗も同じことを説いていて、それは『阿弥陀如来の本願の救いを求めること』です。

 

どういうことかというと、先程ご紹介したお釈迦様は地球上で唯一悟りを得た人物なのですが、そのお釈迦様の力をもってしても、修行をして優れた人でなければ助けすことが出来ず、欲にまみれた悪人は罪が重く浮かばせることはとても出来ないと説いたのです。

 

ここでいう『悪人』とは、放火魔とか窃盗犯とか殺人犯などのことではなく、美味しいものが食べたい・旅行がしたい・結婚がしたいなどの『欲』を持った人のことをいいます。

 

なのでお釈迦様は、師である阿弥陀如来の本願のもと、全ての人を助けていただこうと説いたのです。

 

阿弥陀如来の本願・・・、阿弥陀如来はこのようの約束をしています。

『すべての人の悲しみを取り除き、絶対の幸福にする』

『どんな人であっても信じて念仏を称える者が浄土で往生できなければ、私は仏の座を捨ててもよい』

 

すべての人を浄土へ・・・って、すごいですよね。

 

浄土宗と浄土真宗の違い ~考え方~

浄土宗と浄土真宗の大きな違いといえば、念仏に対する考え方です。

 

浄土宗は、念仏を称えてなんぼと言った感じで、念仏を称える行為自体に重きを置いています。

 

念仏をどれだけ真剣にどれだけ多くの回数を称えたかによって徳の積み方が変わり、浄土へ往生する際に差別があるという考えです。

 

浄土真宗は、念仏を称えようとする心と、日々の感謝の気持ちを口にすることが大切としています。

 

浄土への往生に念仏を称えることを絶対の条件にしていないのです。

 

葬儀の時に称えられる『般若心経』とは、仏の智慧を完成させることを目的としていますが、浄土真宗の考えでは、阿弥陀如来のお力に全てを委ねることで救われると説いていますので、敢えて読経する必要がないのです。

 

他宗教とは違い即身成仏を称えている浄土真宗では・・・

・浄土真宗は、念仏を称えた人は往生できる考えが元になっているので『冥福を祈る』や『安らかに』という言葉が失礼に当たる。

『謹んで哀悼の意を表します』をするのが一般的。

 

・浄土真宗では人が亡くなると、七日ごとの審判を受けることなく即仏の元に往生するとしているので、不祝儀袋の表書きも『御霊前』ではなく『御仏前』が正解。

 

・抹香をつまんだら額に押しいただくことなくそのまま香炉に移動させる。

 

・線香は折って横に寝かせる。

 

浄土宗と浄土真宗の違い ~掛け軸~

『阿弥陀如来の本願の救いを求めること』と同じ考えを持っていますが、掛け軸の配置が浄土宗と浄土真宗で異なります。

 

中央に配置されるのは、どちらの宗派も『阿弥陀如来』ですが、その脇にある掛け軸が違うのです。

 

浄土宗・・・・(左)法然上人 (右)善導大師

浄土真宗・・・(左)親鸞聖人 (右)蓮如上人

 

浄土宗と浄土真宗の違い ~自由度~

浄土宗の規律は非常に厳しく、僧侶は坊主頭・結婚をしてはならない・肉を食べないなどの禁欲を守ります。

 

出家仏教の伝統があり、戒律があります。

 

浄土真宗の僧侶は剃髪が必須ではなく、結婚をすることがゆるされています。

 

出家はしなくても救われることを明らかにしており、戒律もありません。

 

これは親鸞聖人が『全ての人が差別なく、本当の仏教というものを伝えたかった』としていたからに他なりません。

 

現在の僧侶が肉や魚を食べたり結婚をしたりするようになったのも、それまでタブーとされていたものが親鸞聖人のこの行為にならい解禁された感じですね。

 

浄土宗を開いた法然上人(1133-1212)とは

浄土宗の開祖は法然上人(ほうねんしょうにん)で、別名を源空(げんくう)。

浄土宗は『南無阿弥陀仏』を称えることで極楽浄土への往生を祈るのが教えとなり、安らかな毎日を送る。

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他の行いを一切捨て去り、念仏のみ称えていれば極楽往生できるという、『他力本願』を説いている。

阿弥陀如来の後ろが舟後光という形の本尊を祀る。(阿弥陀如来の木像や絵像)

 

法然上人は幼い頃より仏教を学び、天台宗の本山・比叡山で厳しい修行に励みました。

 

若くして勉学に勤しむ法然上人の姿に周囲から注目され期待されていたのですが、法然上人自身が望むような真理には出会うことはありませんでした。

 

厳しい修行を行った者や財力や権力を持つ者のみが救われるという教えは、疑問でしかなかったのです。

 

しかしその修行中に出会ったのが『往生要集』でした。

 

これまでの仏教の教えとは違って、阿弥陀仏(阿弥陀如来)の名を称えれば誰でも平等に往生できるというものだったのです。

 

平安時代の終わり頃の1175年、法然上人が43歳の頃に『ただ念仏を称えれば誰でも平等に往生できる』と教えを説き、浄土宗は開かれました。

 

浄土宗は日本で最初の庶民に開かれた仏教の教えということもあり、急速に広まっていきます。

 

しかしこれに驚異を感じた既存の宗派や権力者から弾圧を受けることとなり、法然上人の教団は各地へ流罪(追放刑)となってしまいました。

 

法然上人の死後、弟子たちにより、しかし念仏と往生の考え方の違いによって五派(浄土五流)に分派しました。

 

その内の『弁長の鎮西義』と『証空の西山義』以外は途絶え、現在は『鎮西義』が浄土宗の主流となっています。

 

浄土真宗を開いた親鸞聖人(1173-1262)とは

浄土真宗の開祖は親鸞聖人。

浄土真宗も浄土宗と同じく『南無阿弥陀仏』を称えるが、念仏を称えようとする心と、日々の感謝の気持ちを言葉に表すことを大切としている。

浄土への往生に念仏を称えることを絶対の条件にしていない。

阿弥陀如来の舟後光の上から更に後光がある本尊を祀る。

 

親鸞聖人は9歳の時に出家され20年間、比叡山で厳しい修行を積まれます。

 

しかし心に渦巻く迷いの霧がスッキリ晴れることもなく、山を降りることを決心されました。

 

この時29歳だった親鸞聖人が劇的な出会いをされたのですが、その人物こそが浄土宗を開かれた法然上人だったのです。

 

親鸞聖人はこの出会いを、次のように仰っしゃいました。

『然るに愚禿釈鸞建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す』

(愚かな親鸞という一人の人間はいろいろな世界に迷い、いろいろな道を自分で行ってきたが、そのあり方を一転して本願という本当の願いの世界に帰ることができた)

 

そしてその後、法然上人と師弟関係となった親鸞聖人ですが、前章でもご紹介したとおりの弾圧を受け流刑となります。

 

法然上人の死後、弟子たちにより五派(浄土五流)に分派するのですが、何を隠そうその弟子の一人が親鸞聖人だったのです。

 

鎌倉初期の1224年頃、法然上人が開いた浄土宗から分派して開かれことになった浄土真宗は、なぜ『浄土宗』ではなく『浄土真宗』としたのでしょうか。

 

親鸞聖人が浄土宗を名乗らならかったわけ

法然上人の浄土宗では、『南無阿弥陀仏』を称えることで極楽浄土への往生を祈るのが教えとなっていました。

 

他の行いを一切捨て去り、念仏のみ称えていれば極楽往生できるという『他力本願』を説いています。

 

しかし法然上人亡き後、弟子たちは思うのです。

 

「南無阿弥陀仏と称えるだけで、本当に極楽浄土へ行けるのか?」

「阿弥陀如来のお力だけでは、助けてもらえることはないだろう」

 

すでに聖道仏教の教えが染み付いていた弟子たちは、法然上人の教えを正確に受け取ることが出来ていなかったのです。

 

現在も浄土宗に残る西山派と鎮西派といえば法然上人の高弟だったのですが、法然上人の説いた『他力本願』教えを歪曲させ、更には念仏を称えた功徳によって往生を祈願するという自力の念仏が混じっているので、浄土宗を名乗っていても純粋な浄土宗とは言えません。

 

弟子たちによる法然上人の教えの乱れを嘆かれたのは、親鸞聖人でした。

 

親鸞聖人は法然上人を尊敬していましたので、阿弥陀如来の本願を疑いなく信じる浄土宗を正しく継承していたのは親鸞聖人だけでした。

 

法然上人の『他力本願』の教えをもう一歩踏み込んで、信心ですら阿弥陀仏より授かったものであると突き詰めると親鸞聖人は、自力で往生などしようとしないで一切の物事を阿弥陀如来にお任せする『絶対他力』を説いたのです。

 

師である法然上人により明らかにされた浄土を説いた真実の教えを継承し展開させた親鸞聖人こそが、真の浄土宗として『浄土真宗』と呼ばれるようになったのです。

 

 

浄土宗・法然上人と浄土真宗・親鸞聖人の関係

浄土宗と浄土真宗は別々の宗教だから法然上人と親鸞聖人の教えも別物・・・と、親鸞聖人の教えは法然上人の教えを否定して、全く新しい宗派を作った・・・と、しばしば誤解されます。

 

しかし親鸞聖人は法然上人を『生涯の師』と尊敬していましたので、自ら新たしい宗派を開こうという考えはありませんでした。

 

法然上人が亡くなった後も教えを疑うことなく貫き、本質を突き詰めた親鸞聖人。

 

二人の師弟関係こそ、揺らぐことのない強い『信頼』で繋がっていたと言えるのではないでしょうか。

 

浄土宗と浄土真宗の違いって何?開祖した法然上人と親鸞聖人の関係のまとめ

浄土宗の真の教えは、阿弥陀如来の本願を信じる『他力本願』でした。

 

しかし弟子たちの解釈の違いや教えへの疑いから聖道仏教を混じらせ、純粋な浄土宗の教えとは違った形で現在に至ります。

 

法然上人の説く他力本願をしっかりと継承したのは、後に浄土真宗の開祖となった親鸞聖人だけでした。

 

親鸞聖人の死後も、その門弟たちによって教団として発展させました。

 

浄土真宗は多くの宗教儀式や習俗にとらわれない合理性を重んじています。

 

こうして見ていくと『浄土宗は浄土宗に非ず、浄土真宗こそ真の浄土宗だった』ということがわかりますね。

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