お盆は、夏の終わりを告げる風物詩ですね。
一般的には8月に行われており、故人やご先祖様が自宅に戻ってこられるのをおもてなしする大切な行事です。
一部の地域では7月15日をお盆としています。
どちらにしても、亡くなられた方を偲ぶ心が大切ですね。
特に『初盆(ういぼん)』となると、故人が亡くなって初めて迎えるお盆ですので、遺族にとってもどのようにお迎えしたら良いのか迷う人が多いと思います。
ついこの間まで一緒に過ごしていた大切な家族が突然いなくなって、その故人が霊となり、暑いさなかに極楽浄土から戻ってくるのですから、その思いひとしおだとお察しします。
さて、宗派によってお盆のお迎えの準備や必要な道具などが違ってくるものですが、浄土真宗はどのようにお迎えをし、13日から15日の3日間を過ごしたら良いのでしょうか。
そこで今回は、浄土真宗の初盆についてまとめました。
提灯や祭壇の準備はどのようにするのが正解なのでしょうか。
初盆はその故人にとって遺族にとっても一度しかない行事ですから、後悔がないようにしたいものですよね。
目 次
初盆って浄土真宗では必要ないって本当?
一般的な初盆の迎え方として、親戚・近親者や故人の友人・知人を招いて僧侶に読経をしてもらい、その後は仏様への供養の意味を込めて参会者全員で食事をする・・・といった流れになっています。
しかしインターネットで浄土真宗の初盆を検索してみると、『特別なことをしない』と書いてあります。
この『特別なことをしない』とは、一体どのようなことを指しているのでしょうか?
その疑問を解決するためにも、まずは故人の宗派である『浄土真宗の教え』をご紹介します。
浄土真宗の教えとは?
仏教の言葉の『他力本願』と『往生』をご存知でしょうか。
まず、『他力本願』とは他人に丸投げするという意味ではなく、『阿弥陀如来の本願力』のことをいいます。
阿弥陀如来の本願とは、この世で生きている全ての人の、その一人ひとりの内にある暗い心を打ち破り明るい心(本当の幸福)を与える力のことです。
次に『往生』ですが、人が死んだり困ったりするという意味ではなく、『極楽浄土に往って生まれる』という言葉です。
「浄土真宗って、死んだらみんな即浄土に行ける宗派だ」なんて、しばしば誤解されていますが『全ての人が仏となって楽浄土へ行ける』のではなく、『生きている間に阿弥陀如来の本願によって、暗い心を打破され明るい心となった人だけが、阿弥陀如来の住んでいる極楽浄土へ仏となって生まれることができる』ということなのです。
『他力本願』と『往生』とは、一般的に使われている意味合いとは全く異なっていることがわかるかと思います。
浄土真宗の初盆の考えとは?
故人は仏となって、いつでもどこでもどんな時でも、ずっと私たちのそばにいてくださり見守ってくれている存在という解釈です。
そうです。
今この記事を読んでいる瞬間もあなたのそばにいらっしゃり、あなたの身を案じてくださっているのです。
すなわち浄土真宗の教えに基づくと、既に傍にいるのであって、一年のうちの特定の日だけに故人が行ったり来たりしてくれるというわけではないということです。
ずっと一緒にいてくださっているのに、「行ったり来たり」というのはおかしいですよね?
ここで最初の疑問に戻りますが『特別なことをしない』とは、浄土真宗では他宗教のような考え方に繋がるお盆自体がないので『初盆での特別なことはしない』ということなのです。
これは、毎年訪れる『お盆』においても然りです。
他宗教の人からするとかなり珍しく感じられることのようですが、浄土真宗にお盆の概念がありませんので『盆供養のお経』さえ存在しないのです。
ですので、葬儀社からの初盆案内がきても、宗派の違う親戚に勧められても、浄土真宗の人は初盆もお盆もする必要がないのです。
初盆が浄土真宗では必要ない!提灯飾りの準備はしなくてもいいの?
浄土真宗は、一般的な初盆・お盆がない考えの宗派ですので、提灯飾りも特別に準備する必要はありません。
しかし「盆提灯がないとお盆の雰囲気が出ない」と感じるのであれば、準備をされても構わないのです。
なぜなら浄土真宗は「これは良い、あれは駄目」ということがないので、遺族同士で話し合って思い描くお盆を過ごしたらいいからです。
そもそもお盆行事は宗教行事と言うよりも、地方独自の民族行事として発展してきた節があります。
カレンダーにも8月13日~15日の3日間に『お盆』と記載されていますが、日本全国統一の作法があるというわけではないですよね。
その地方ごとお家ごとに、特産物などを取り入れた独自の飾り付けとして受け継がれています。
初盆では、初めてお盆を迎える個人専用の提灯『白い提灯』を飾りつける風習があります。
たった3日間飾っただけで、お盆が終わってしまうとお寺や葬儀社などに納めお焚き上げをしていただくと言ったことは、その地方による習慣に過ぎません。
お盆は地場産業などとの関わりが強いことからも、仏教や浄土真宗の教えとは関係なく地方独自のものがあるのです。
それは習慣や習俗と受け止めましょう。
初盆が浄土真宗では必要ない?祭壇の準備もしなくてもいいの?
浄土真宗では初盆をする必要がないので、祭壇などを設けた盆飾りもちろんする必要はありません。
お盆には祭壇飾りをして僧侶の読経を上げていただくといった概念は浄土真宗において、亡くなった故人には全く関係のないことです。
従って、故人にとってはプラスにもマイナスにもならないことなので、遺族がどのような初盆を迎え過ごしたいのかという個々の判断でよいのです。
提灯飾りと同じく浄土真宗では「こうしなければならない」とか「これをしたら駄目」ということが少ない宗派ですので、他宗教のような自宅に祭壇を飾って僧侶を呼ぶも良し、呼ばないも良し、本山や別院のお盆法要に参加されるも良し、なのです。
他宗教のようなお盆をする必要がないから、周りと比べてみるとやらないことが多いだけなのです。
初盆はどのように過ごしたら良いのか
浄土真宗の初盆は、特別に何かを行うことはありません。
ご先祖様が戻ってきて供養するのではなく、ご先祖様への感謝と仏法を慶ぶ習慣として日常と同じように過ごしましょう。
だからといって、何もしてはいけないということはありません。
僧侶を呼んでお経を上げてもらいお墓参りをしても構わないのです。
僧侶を呼ぶなら、早めに連絡を入れてお願いをしておくようにしましょう。
また、準備するものや必要なものなどでわからないことがあれば、どんな些細なことでも直接僧侶に聞くことをおすすめします。
亡くなって初めてのお盆を迎え、遺族も初めてのことばかりなので分からなくて当たり前です。
決して恥ずかしいことではありませんので、遠慮せずに聞いてみてください。
僧侶は丁寧に教えてくれるはずですよ。
初盆が浄土真宗は必要ない?提灯飾りや祭壇の準備はしなくてもいい?のまとめ
お盆は全国的に7月か8月に行われる、絶対的な行事だと思っていました。
浄土真宗の解釈としては、亡くなった人は(条件付きですが)極楽浄土に仏となって生まれるのです。
仏となっている故人やご先祖様は遠く離れた浄土の世界にいるのではなく、いつも私たちの傍にいて見守っていてくれているのです。
あの世とこの世を行ったり来たりという考えはないので、初盆もお盆もする必要がないのですね。
『提灯・灯籠・迎え火・送り火』は必要ありません。
『精霊棚』も設ける必要はありません。
『飾り付け』は日常と同じが原則ですが、丁寧に行うなら年回法要と同様程度にしましょう。
『供物』はご先祖様や故人にではなく、ご本尊の阿弥陀如来様に供えましょう。
現代はかなり簡素化の傾向にあります。
自宅事情や親戚関係なども色々あります。
形式にこだわらず、みんなで集まって故人を想い語り、そして心を込めて「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで充分ではないでしょうか。
故人を偲ぶ心・供養する気持ちがなによりも大切だということを心に留めて、お盆を迎えましょう。
お盆という行事は仏教のものではありません。
中国経由で仏教が伝わる際に、シルクロードを通ってイランやイラクなどの習慣がミックスしてしまい、日本で独自に発展したものなのです。
仏教の心に触れる伝統的な意味では必要な行事ですが、霊魂が帰ってくるという考え方は仏教には存在しないのです。