もうすぐ小学校も一学期が終わり、夏休みを迎えようとしています。
夏休みというと、もうびっくりするほど膨大な量の宿題が出されますよね。
「自分の力でやらなきゃ意味ないよ」なんて親に言われたものだから、渋々プリントを広げていた記憶があります。
ところで、子供が持って帰ってきた宿題って、親が手伝うものなのでしょうか?
というのも先日友人が、小学1年生の息子さんの自由研究のテーマを決めるところから、作品を仕上げるまでの全工程おいて、つきっきりで手伝ったと言ったのです。
夏休みと宿題は、子供が1人でやり上げるものではないのですか?親が手伝って作る作品は子供のためにもならないのではないでしょうか?
そこで今回は、夏休みの宿題を親が手伝っている実態と、実は親の負担になっている自由研究の在り方などについてまとめました。
目 次
夏休みの宿題は親が手伝うもの?
確かに私自身が小学生の頃、夏休みに出された宿題を親に手伝ってもらったことはなかったと記憶しています。
というのも両親は共働きをしており、帰宅してきてからは家事をこなし、夜な夜な内職までかかえていたので「手伝って」とは言えませんでしたし、端から手伝ってもらうという観念はなかったのです。
しかし、明らかに自力で解ける問題内容ではないし、その上「自由研究って何?」っていう状態ではありましたけどね。
やろうと思って机に向かうのですが、解けない・分からないから先延ばしにして夏休み最終日に泣いていました。
昔と今とじゃあ、夏休みの宿題に対する考え方は違うのでしょうか?
夏休みの宿題を手伝わない意見
親が手出ししたら子供がやったことにならないので、手伝うなんて論外です。
子供自身が手伝われるのを嫌がるというのもありますので、親が手出しすることでもないと気付かされ見守ることにしています。
図書館や本屋に連れて行き自由研究の課題を何するか選ばせ、キットや材料を購入するまでは子供1人では出来ないので付き添いますが、それ以上のことは基本ノータッチです。
他にもパソコン・新聞・本などで調べたことを、自分でスケッチブックにまとめて提出していました。
自由研究を、自分で考えて自分で作ることこそがやはり子供のためになっているのです。
そもそも『自由研究用のキット』の存在が謎に感じます。
買ってきたキットを説明書通りに組み立て・操作することのどこが自由研究なのだろうと思ってしまいます。
自由研究とは、自分自身でテーマを見つけ何を使ってどう研究すればいいか考えるものです。
実際にやってみて上手くいかなかったら改良して、自分の考えをまとめるというのが勉強の醍醐味ではないでしょうか。
既に出来上がったキットを使うよりもはるかに頭を使う訓練になるし、それこそが本来の自由研究の姿なのです。
宿題をしないならしないで、そのまま2学期を迎えたらどうなるかということを、子供自身が身をもって体験させるのも学習の内だと思っています。
宿題を親に手伝ってもらった子供の記憶には、他の子供より優れた作品を提出することで褒められた喜びが残るかも知れませんが、実力も達成感も何も身につくことはないでしょう。
夏休みの宿題を手伝う意見
子供の自由研究を手伝うのは、親として当たり前のことです。
確かに子供が自分一人でやり遂げることは、もちろん素晴らしいことだと思います。
でも小学一年生といえば義務教育に入ったばかりで、数ヶ月前までは幼稚園でワイワイやっていた幼児です。
そんな子供が小学1年生になったからといって、いきなりテーマを決めたり、自由研究の内容をまとめて書き上げたりする力が備わっているでしょうか。
自主的に出来る子・言っても出来ない子・工作が好きな子・苦手な子・やり方がわからない子と、一口に子供と言っても様々ですよね。
小さい子供なのですから経験していないことが出来なくて当たり前で、それを親や大人に教わりながら成長していくものではないでしょうか。
自由研究・読書感想文を親の助言なしで出来る子供がいたとしたら、そちらの方がかなり稀な存在です。
完成までつきっきりというのにも程度があると思いますが、まるっきり子供任せという親は少数派な考え方です。
高学年になっても何を研究するか親子で話し合い、国立美術館の実験教室に付き添って参加するという親御さんもいらっしゃいましたよ。
どのようにまとめたら良いかなどの相談にも乗るし、時々チェックもしてあげます。
子供がせっかく自由研究に取り組んでいるのですから、人に見てもらえる見栄えの良い作品になるように、親が導き教えることこそが子供の身になるのではないでしょうか。
こうして何回か教えてあげると子供はいつの間にか、自分のことは自分で出来るように育っていきます。
この程度のことはむしろ、どこの家庭でも当たり前のように行われています。
漢字ドリルや算数ドリルの宿題は子供一人でやるものだけど、自由研究はあくまでもサポートという位置づけで親が手伝うのは悪いことではありませんし、甘やかしでもありません。
一から全部やってしまうのはどうかと思いますが、要するに親がどれだけ子供の学習に関心を持ち、関わってあげられるのかが大切なのです。
昔は放ったらかしだったのが今は丁寧になってきているので、その辺は良い光景ではないでしょうか。
夏休みの宿題は親の負担となっている自由研究?
夏休みが終わると、学校で各自治体の自由研究・工作展の出品作品を選ぶことが通例となっていますよね。
残念ながら、子供が一人で作った拙い作品が評価されることはなく、どちらかというと小学校の先生を親に持つ子供の作品がたくさん選ばれているのが現状です。
中にはどこからどう見ても、100%親が作ったでしょ?という明らかにレベルが違う作品が並び、評価されます。
子供だけで作った作品は残念な雰囲気が漂っていて、親は忙しくて協力できなかったのかと気の毒にさえ思えてしまいます。
でもこれは、学校側も自由研究において親が手伝うことを前提に宿題にしているので仕方ありません。
宿題のしおりプリントにもちゃんと『親のアドバイスや手伝いを受けることは可能です』と明記されていますよね。
自由研究に関しては、親がサポートしてあげないとちゃんとしたものが完成しないと、学校は分かっているのですね。
今は親が子供の横について宿題を見てあげるスタイルが主流となっており、親子一丸となって目標に向かうのが大事だと、先生がおっしゃいます。
が、何をどうやればいいのかを教えてくれないので親が教えなければならなくなり、結果、子供の自由研究が親の負担になってしまっています。
夏休みの宿題!自由研究一年生の在り方!
『一切手伝わない』という考えと『手取り足取り手伝う』の論争は無意味で、結論はどちらもあまり良くありません。
自由研究を手伝わない親は、手伝うことで子供の自主性を阻害すると言います。
放ったらかされた子供は、自力で頑張って何かを会得するかも知れません。
しかし一方で、しめたとばかりに何もしないでいる子供もいるわけです。
それで痛い目を見れば子供の教育に繋がると思われるかもしれませんが、最近は手抜きした宿題を提出しても黙って受け取るし、宿題未提出の子供にもあまり厳しく対応はしなくなりました。
これは学校職員として、保護者からのクレームが入ると鬱陶しいからに他ならないのです。
なので自由研究を手伝わないことが、必ずしも子供の自主性を伸ばすかというと、はなはだ疑問に感じます。
だからと言って手伝う方が良いのかと言えば、それはもはや子供本人の宿題ではなくなりますよね。
完全に親の自己満足となってしまいますし、子供が『親に任せとけばいいや』と考えるようになってしまうかも知れません。
逆に手伝いすぎる親への反発心から、翌年は自力ですごい研究をしちゃう子供も出てきます。
宿題を手伝うのが駄目とか、子供は1人で出来ないんだか手伝うのが当たり前だとか、そもそもそういう次元の問題ではありません。
いかに子供の能力を引き出してあげるかではないでしょうか。
自由研究って何なのかを理解していないので、初めての時は『手伝う』と言うより『導いて』あげる立ち位置で接すると良いでしょう。
小学1年生でしっかり指導しておけば、翌年以降は困ったときに相談にのる程度で自ら進んでサクサクいけるのではないでしょうか。
『導く』のにも注意が必要です。
親のやらせたい研究ではなく、子供が興味や関心を持ち個性に合わせたテーマ候補を出すようにしましょう。
そういうことが出来るのは学校の担任教師ではなく、親であるあなたですよね。
夏休みくらい子供とじっくり付き合っても、バチは当たりませんよ!
夏休みの宿題は親が手伝う?親の負担となる自由研究一年生の在り方!のまとめ
今の親世代が子供だった時代とは、夏休みの宿題一つをとっても方針が全然変わってきていました。
自由研究に関与してくれないどころか、国語でさえわからないところを聞いても「お母さん、わからんもん」で回避されていた時代は終わったのです。
小学一年生の子供宿題を見るのは親の務め。
でも手取り足取りになると、子供のために出された課題がいつの間にか保護者の課題とすり替わってしまいますので、注意しなければなりません。
決して、親から口出しをするのではなく、導くという立ち位置を踏み外してはいけないのです。
答えをチラ見させるのではなく、その答えにたどり着くためにはどのようにしたらいいのか、というのが重要です。
子供自身に全部させるのも正解。
子供の傍についてあげるのも正解。
『宿題を手伝う』ことを履き違えないようにすれば、どちらも正解なのです。